甲府地方裁判所 昭和46年(ワ)205号 判決 1973年4月09日
原告 川口富次
右訴訟代理人弁護士 林貞夫
被告 中村敏寛
右訴訟代理人弁護士 古明地為重
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
一 当事者の申立
1 原告
被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和四六年八月一八日から完済までの年五分の金銭の支払をせよ。
訴訟費用は、被告の負担とする。
仮執行宣言。
2 被告
主文と同じ。
請求認容のときは、仮執行免脱宣言。
二 主張及び証拠
原告
(一) 当事者
1 原告は、大正一二年一月二七日生れの男子で、本件発病まで、何らの病歴がない健康体であった。
2 中村外科病院は、被告が経営している医療施設である。
被告の自白取消には、異議がある。
仮に、法人が経営しているとしても、原告の診療は、医師である被告個人が行なったのであるから、その責任を追及する。
(二) 発病の経過
1 原告は、昭和四四年五月上旬、胃に異状を感じたので、同月七日、中村外科病院に赴き、被告の診察を受けた。
その結果、慢性胃炎と診断された。
2 そして同日、一週間分の薬品(検甲第一号証及びこれと同種の薬品。以下本件薬品という。)の投与を受けた。
本件薬品は、名称及び成分が明らかではないが、多量のキノホルムを含有している。
3 原告は、同日から一日三回ずつ七日間にわたって本件薬品を服用した。
4 ところが、同月一四日頃から三晩、ほとんど眠れず、同月一七日朝、右足の感覚が失なわれた。
そこで、同月一九日、峡東病院(東八代郡石和町所在)に入院したが、程なく左足も麻痺し、入院後一ヶ月で、下半身不随となった。
5 原告は、同年一〇月二七日、峡東病院を退院し、その後自宅療養を続けたが、右眼、続いて左眼の視力を失った。
6 原告は、昭和四六年五月五日、峡東病院の菅原謙二医師により、スモン病と診断された。
そして、同月末山梨県から、スモン病患者の指定を受けた。
(三) 被告の責任
1 以上の経過によれば、原告のスモン病罹患は、被告が投与した本件薬品が原因であることは明白であって、被告には医師として重大な過失がある。
2 キノホルムの使用等が禁止されたのは、被告主張のように、昭和四五年九月である。
しかし、キノホルムは、昭和一一年に劇薬に指定されながら、同一四年に指定を解かれた経緯がある。
殊に、昭和三四年から四二年頃にかけて、全国的にスモン病が発生したので、キノホルムの使用禁止が叫ばれ、遂に厚生省もその製造販売使用を禁止するに至ったことは、公知の事実である。
従って、被告が、右事情を無視して、キノホルムを含有する医薬品を原告に投与したのは、医師としての注意を怠ったというべきである。
(四) 原告の損害
1 原告は、昭和三七年頃から、自動車部品製造を営む遠藤浩士に雇われ、月四万円の給料を得ていた。
しかし、スモン発病のため、退職し、右給料を受けられなくなった。
2 原告は、本訴提起当時四八歳であったから、平均余命は二四年である(第一二回生命表)。
この間に受けるはずであった給料合計の現在価額を、生活費(月一万五〇〇〇円)及び中間利息(ホフマン式)を控除して求めると、三二七万二七二四円となる。
3 原告は、両眼および下半身を冒され、「生ける屍」として余生を過すほかない。
その精神的苦痛を慰藉すべき金額は、五〇〇〇万円が相当である。
4 よって、被告に対し、2・3の損害の内金一〇〇〇万円の賠償を請求する。
(五) 証拠≪省略≫
被告
(一) 当事者
1 知らない。
2 否認する。
被告は、一たん原告の上記主張を認めたが、これは真実に反し、錯誤によるものであるから、取消す。
中村外科病院は、財団法人山染整肢更生会が経営している医療施設である。被告は、右法人の理事で、中村外科病院の管理者(院長)にすぎない。
よって、中村外科病院の医業に基づく損害賠償責任は、右法人が負うのであって、被告個人に責任はない。
(二) 発病の経過
1 認める。
診断は、五月七日のエックス線胃透視・八日の胃カメラ挿入に基づぎ、行なった。
2 否認する。
被告が行なった治療は、次のとおりであり、投与した医薬品にはキノホルムは含有されていない。
五月 七日……キャベジン注射
〃 八日……キャベジン注射・M2三日分投与・セルシン三日分投与
〃 一二日……キャベジン注射・M2三日分投与
〃 一五日……キャベジン注射・M2三日分投与・セルシン三日分投与
3 知らない。
4 知らない。
5 知らない。
6 争う。
(三) 被告の責任
1 否認する。
2 仮に、被告投与の医薬品が、キノホルムを含有していたとしても、昭和四四年五月当時、キノホルムは、医薬品として一般的に使用されていた。
キノホルムが、スモン病の原因の可能性を指摘され、製造販売使用を禁止されたのは、昭和四五年九月八日(通達は同月一一日付)である。
従って、一医師である被告が、昭和四四年五月当時、キノホルムの危険性を予見することは、不可能であった。
(四) 原告の損害
争う。
(五) 証拠≪省略≫
理由
原告が、昭和四四年五月七日、中村外科病院において、医師である被告の診察を受けたこと、及びそのころ(原告の主張では診察当日の一回、被告の主張では五月八日、一二日、一五日の三回)同病院から医薬品を授与されたことは、当事者間に争いがない。
原告は、その投与された医薬品が本件薬品であり、それが原因でスモン病になった旨主張する。
そして、本件薬品中に、昨今スモン病の要因といわれるキノホルムが含有されていることは、検甲第一号証の存在及び≪証拠省略≫により明らかである。
そこで、中村外科病院(その経営主体や処方を指示した医師が誰であるかはしばらくおく。)が本件薬品を原告に投与したかどうかを検討しよう。
(一) 原告は、本件第五回口頭弁論期日において、中村外科病院から投与された薬品ののみ残し分として、検甲第一証(カプセル入りの薬品五個)を提出した。
しかし、原告の当初の主張は、一週間分の薬品を授与され、一日三回ずつ七日間服用したというのであるから、一応のみ残しはない計算になり、右薬品の提出自体、疑問がないではない。
(二) この点に関する原告本人の供述は、甚だ瞹昧であって信頼度が薄く、果してのみ残しがあったのかどうかさえ確認しがたい。証人川口きの江(原告の妻)の証言及び原告本人の供述によると、病気のため、原告の記憶力がかなり減退していることがうかがわれる。
(三) 証人川口きの江は「中村外科病院からもらって来た薬は、私に見せてないが、原告がのんでいたのは見た」「その薬は、検甲第一号証のような薬だったと思う」旨述べているが、「中村外科病院の薬といい切れるか」との質問に対しては、言葉を濁している。
また、同証人の証言によると、原告は、中村外科病院の診察を受けた後、石和町立峡東病院に入院し、同病院から医薬品を授与されているが、きの江にとっては、両病院の薬の識別が必ずしも明瞭ではなかったことが認められる。
(四) 結局、証人川口きの江の証言及び原告本人の供述は、その内容に作為的部分はないとしても、少くとも検甲第一号証に関する限り、いずれも記憶が不確かであるか、推測的な見解であるかであって、その程度の薄弱な証拠だけでは、検甲第一号証が中村外科病院から投与された薬品であると認定することはできない。
(五) 右証言及び供述を除くと、他に、検甲第一号証と中村外科病院との結びつきを証明する資料はない。
(六) なお、≪証拠省略≫を総合すると、中村外科病院の診療録に記載されている、原告に投与した医薬品の処方は、M2(SM散、ラックB、重質酸化マグネシウム、パンクレアチン、リパーゼ及びハイシーを調合した散薬)とセルシンだけであって、右医薬品にはキノホルムの含有がないことが認められる。
従って、本件薬品が右医薬品と別個のものであることは、疑う余地がない。
以上のとおりであって、中村外科病院が、原告に対して、検甲第一号証を含む本件薬品を投与した事実は、本件の全証拠によっても、認められないことに帰着する。
そうだとすると、他の争点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋本攻 裁判官 春日民雄 村上和之)